アラブ社会研究 いばらの道

フランスの中東研究所主催の「紛争下の社会人文学」と題する研究会に顔を出した。進行役は南仏大学の修士課程からの知り合いのカチュース氏。アラブ政治を専門にするCNRSの中堅学者だ。プレゼンのひとつは、内戦下のレバノンで行われるオスマントルコの歴史考察過程の分析だ。もうひとつはすべてが政治的な意味合いをもつパレスチナにおける社会研究の位置づけ。以前、この研究所の研究者たちと、イラクの人文社会科学研究の振興の意見交換をした。残念ながら共同プロジェクトは日の目を見なかった。今回は研究会のタイトルから、シリアの現在と未来を想像しながら、参加した。両プレゼンとも深く掘り下げた考察は面白いのだが、現代進行のシリア問題の解決の糸口にはあまりに程遠い。

イースター休暇の前日で、すでに心はオフィスにあらず。1時間余り、私の思考はプレゼンと20年前の留学時代を交差しはじめた。フランス大使館内になるこの研究所の小さな会議室。円卓に10名程度、それを囲んで15名程度が座っているが、めずらしくそのほとんどがフランス人。南仏の修士課程の授業、フランスアラブ学会、在チュニスのフランスのマグレブ研究所も、そして今日の研究会。醸しだされる空気は、メンバーが代わり、年月を経ても、なんだかよく似ている。おそらく1950年代に立てられた天井の高いこの建物。ふりそそぐ太陽と屋内の薄暗さ、地中海気候のせいもあるかな。

仕舞った!と思う場違いな会議に出ることも少なくないが、自分の仕事や生活をリセットする意味で、プレゼンの内容以上に有意義なことが多い。この研究会は内容は濃い、懐かしい知り合いの研究者と再会できたから、それだけでも満足だ。無表情いうなずく博士課程の学生の顔をみながら、20年前自分もこんな顔していたのかしらと想像する。

プレゼンの内容に戻る。紛争中、貧困や国家の監視や妨害にもひるまず、変わる、変わらない社会を問い続ける根性、意志、好奇心、相性、自然体、惰性… 面白い研究は視点も切り口も本当に斬新で、根本は想像力なのだ。旧友の研究者としての活躍ぶりは、心から誇りに思う。

学生時代からあこがれたアカデミア。でも自分には不向きだと適当なところであきらめたのは、我ながら賢い選択だった。イースター休暇明けには、初心にもどって、今の仕事に向き合おう。

 

 

 

Goodness, Gracious, Me

シリア危機がはじまって早3年が過ぎた。危機ではなく、列記とした戦争だ。レバノンの避難民も日に日に増え続けている。イラクのシリア難民の間で、暫く絶滅されたはずのポリオの例がでたとかで、レバノンで厚生省が子供に無料でポリオの予防接種キャンペーンをしている。今週は息子も学校で注射をしてきた。夕方ひとしきり遊んできた息子に、テスト勉強を促したら、頭が痛い、フラフラすると答える。なんとま、相変わらずの間のよい答え。ただその晩から39度の高熱が出たのだ。

39度の熱はつづくし、私も咳と微熱で十分疲れていたので、仕事を休み、一日寝たり起きたりして過ごした。イースター休暇前の最後の日の今日、学校は全国教員ストで休みになった。まだ熱が完全に下がっていないから、ちょうどよかった。

病欠2日目、咳もずいぶんおさまってきた。夕方予定している転居祝いの集まりも決行しよう。同じ階、すぐ上の階に息子と年の近い男の子がいる2家族を招いた。簡単なフィンガーフードとお菓子でも用意して、ご近所親同志の顔合わせだ。だからリビングに残っていた3つのダンボール箱の中身も、朝のカフェラテを片手に、勢いで片づけることにした。

99年に結婚して間もなく、すっかりはまったイギリスのインド2世の若者のコントのビデオ。新婚旅行はロンドンに行ったので、イギリスのものが、我々のマイブームだったのだ。テレビの放映を録画し、息子を妊娠中時に出向いたNottinghumの本屋で4本も買っている。普段あまり娯楽品に投資しない私たち夫婦にしてはかなり稀だ。この後DVDがあっという間に主流になってしまった。このコント、また笑いたくなったら、Youtubeで見ればいいのだ。便利なものだ。ttps://www.youtube.com/watch?v=Ln5QgeCL1fs

結婚当初の頃を懐かしむほかは、このビデオの使命は終わったのだ。少し寂しい気もするが、埃もよぶことだ。さようなら。

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ずると病気休暇の境

10日ほどから、肺にかすかな痛みを感じる。数日して咳きがでて、夜熱が出る。熱が出た次の日は余程仕事を休もうかと思ったが、何度かスケジュール調整しなおした打ち合わせが入っていたので、仕事に来た。週末も微熱と咳のせいで、体があちこち痛く冴えなかった。今朝は、月曜ということもあって休みたい気持ちは肥大する一方だったが、家でついつい家事をするか、お手伝いのおばちゃんのトークに愛想相槌を打つ羽目になるかと残り少ないオプションを考えると、仕事に来たほうが断然健康的だという結論に至った。

3年前から続く組織の財政難と予算カットにしては、私のプログラムにはなかなか潤沢予算がついた。リストラの暗い空気も地域オフィスにいると、本部ほどは感じない。アシスタントも比較的優秀で、性格がいい。ほかの同僚からその点でうらやましがられている。優秀で知恵を拝借できるし、波長もあう同僚の一人は別格として、ほかの同僚も適当な距離をもって付き合えば、特に問題はない。公務員だから、休暇もどうどうと取れるし、月末には必ずお給料がもらえる。だから、7年前にこの仕事を得たときは、天職だと思った。この仕事のすぐ前は大学の非常勤講師で、小さなオフィスを3人の講師とシェアしていた。そう思えばこそ、自分のオフィススペースがあること、それだけで御の字だと思い、その後上司のマイクロ管理地獄にも耐えた。最近の財政難やリストラでのギスギスムードにもマイペースで自分の仕事の内容に集中してやってきたのだ。

しかし7年目の脳は、いい夫だろうがいい仕事だろうが、所詮「飽き飽きする」と感じるものらしい。その通り、飽き飽きしてます。朝っぱらからお手伝いのおばちゃんトークと比較されている私の仕事。うーん、情けない。大学ならサバテイカル休暇となるのでしょうが、去年はその必然性を感じなかったから、用意しなかったわ。それにサバテイカルから戻って、自分のポストが廃業されてたら…平常なら、それはないだろうというシナリオも、この組織の危機的状況じゃ、どんなシナリオも考えられる。サバテイカルのシナリオと同様、転職の用意もないのだ。今週末は、イースターの長い週末だ。少し考え始めた、転職と早期退職プラン、もう少し考えるとするか。

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ふるさと旅行

引越しからもうすぐ2週間。ダンボールの数は減った。このまま減るか、次の引越しまで放置され家具の一部と化すか。前回の引越しの経験からも、今月が勝負といえる。現時点では一応9ヶ月後に予定されている次回の引越しは、これまでとは少々意味が違う。はじめての、しかも新築の持ち家だから、スマートに住みたい。

広島の実家から都内の大学に進学して以降、感動した、熟読していまも手にする、いつかは読むかも知れないと、本はおびただしく増え、それでも計12回の引越しの間に、たくさんの本を誰かにもらってもらった。昨夏購入したキンドルは確かに便利だ。今回は断捨離の気合のヴォルテージが上がる。

とはいえ、心に響いた、しょっちゅう手にした、著者から直接頂いた、友人から頂いた本はやはり捨てられない。だっていろんな思い出につながっているから。帰省のたびにブックオフに通って探したいくつかの小説は。もういろんな人にもらってもらって、手元にあるのは好きな作家のものだけ。とりあえずダンボール箱の彼らの記念写真をとる。

小学生から高校生まで好きな本は外国の作家のものが大半だった。読書はある種「兼高かおる世界の旅」のような、旅の道具だったのだ。大学以降、アラブ社会を専攻してからは、本棚の大半がアラブ関連になった。いろんな年代を超えた日本の作家ものを読むようになったのは、ここ数年のことかもしれない。

小説は小説だが、戦後の大阪、新宿の2丁目に、金融エリート等々、これまで自分が知らなかった、年に2週間の帰国休暇じゃ日本社会の情景、情感。

次のダンボールはさらにかさ張る。反対を押し切って結婚したときに、母から渡された分厚いく重たい写真アルバムの数冊だ。捨てるなといわれたので、律儀にレバノンまで持ってきた。デジカメにおさめようと思ったが、11ヶ月で歩き始め等々、育児ノートを兼ねた母の直筆もあるし。泥棒に盗まれたら、あきらめられる程度の執着だが、自ら捨てるとなると至難だ。

ふるさと、やはりこれは次の住処まで持っていこうと思う。

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されどジェンダー

とても優秀な若いレバノン男性と話した。アメリカン大学で経済を専攻して、昼間は経理関係の仕事をしている。学生時代から、いくつかの社会開発のNGOの立ち上げに関わり、卒業後も続けて力をいれててきたのが、若者のソフトスキルのトレーニングが主な活動のNGOだ。週末はプレゼン、プロジェクト監査等のスキルを磨くトレーニングを無償で企画実施するんだと。へえ、エネルギッシュで歓心だね。

で、ジェンダーのメインストリーミングとかしないの?

何ですか、それ。うちのNGOじゃ、ジェンダーは考えないんです。僕のNGOや、僕のコミュニテイじゃ、少なくともジェンダーが問題になったことはないんです。で、僕ちゃんのコミュニテイって?僕も共同設立者のトレーニング専門のNGO,女性のメンバーいますよ。アメリカン大学、僕の勤める会社。僕の住むベイルート。

は?なんじゃら?じゃ、家庭内暴力で殺された女性や、男性と同じポジションの女性の給料が低いとか。それは個人的な不運な話だと思ってる?まじかい。ジェンダーってのは社会的な差別構造でしょう。個人の努力じゃ超えられない差別の構造は、ジェンダーだけじゃない。だけど、ジェンダーってのはどの社会にも階層にもあって、人口の半分に関わる大きな壁でしょうが。

僕ちゃんの、個人の物差しや生き様を問いただしているんじゃないんだよ。?何のためにトレーニングしてるの?スキルをもった若者、社会をよくしようとか思わないの?あなたねえ、そういう知能とやる気があったら、自分の小さなコミュニテイから出て、社会の問題をもう少し深く分析したら?

いかんいかん。つい感情的になってしまった。僕ちゃん、もう少し視野が広いと勘違いしたのは、おばさんの早とちりでした。あちゃー。ジェンダーの啓蒙は今も、次世代も続けないといかんわ。危ない危ない。

 Activists take part in a demonstration in Beirut against domestic violence targeting women on Saturday, March 8, 2014. (The Daily Star/Mohammad Azakir)

http://www.dailystar.com.lb/News/Lebanon-News/2014/Mar-08/249669-activists-march-in-beirut-against-domestic-violence.ashx#axzz2yUJQzIvU

ベイルートの地価と家賃

午後4時半、知人との仕事の打ち合わせに、ハムラ通りのはじめにあるカフェに向かう。この時刻にしては車の量が少ないと思いきや、ハムラ通りで借家人の小規模デモがあったのだ。先週議会で可決された賃貸住宅に関する法律は、主にベイルートの20万軒のアパルトマンに関したもので、大家が20年前の微々たる家賃を改定したり、借家人に引き払ってもらう権利を認めたものだ。

昨今の相場では年間1万ドルはくだらないアパルトマンに、年間100ドル程度を払い続けてきた借家人たち。その多くは経済的に困っているわけでもない。これまでただ同然だった賃貸料がおかしいとは分かっていながら、やはりこの新しい法律面白くないのだ。

1970年代内戦以前、ベイルートは中東のパリといわれた。金融、ビジネス、観光、報道・出版、娯楽、いずれの点でもアラブ地域の華的存在だった。その頃から40年、アラブ地域はいろいろ変わり、ベイルートの位置づけも変わった。

要すれば、以前のような「唯一」の存在でなく、カイロ、ドバイ、アンマン等「いくつかのうちひとつの」、そして「名ばかりで遅れているが」、しかし相変わらず自由で、華があり、郷愁的かつ超近代的な街なのだ。というわけで、レバノンに住むレバノン人だけでなく、世界に散らばるレバノン人(国内人口の4倍といわれる)、湾岸アラブ諸国、シリアやイラクの金持ちまで、ベイルートにアパルトマンをひとつは買って置きたい客は、この国がいかなる政情不安に陥ろうが、後を絶たない。

安定すれば、さらにこの地域に和平が成立すれば、不動産はさらに値上がりするはずだ。2006年の対イスラエル戦争、3年来のシリア危機で、景気は全般にふるわないものの、地価に家賃は右上がり。このシリア危機の裏には、レバノン・キプロス海に埋蔵されている石油とガスの利権をめぐる駆け引きがあるともいわれている。シリアがおちつけば、さらに、ベイルートの地価はまたあがるだろう。

 

 

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おいしい粗食

普段は日曜の家族の昼食の持ち帰りが、水曜日くらいまで、夕食のメインおかずになる。水、木曜にはフィリピン人のヘルパー、ヴィッキーが作ってくれるアジア風かレバノン料理、金曜はジャンクフードの出前、土曜は昼が冷蔵庫掃除、夜は外食というのが、我が家の食事パターンといえる。

レバノンの家庭料理は野菜を細かく切ったり、葉っぱでくるんだり、手が込んでるものがおおい。肉団子のケッベにしても、中身はいちど調理した肉をいれて、それを揚 げる。揚げたケッベが基本で、これをヨーグルトソースや、オレンジと白ゴマソースで煮詰めた応用編もある。クーサにしても中をくりとって、ひき肉と松の 実、ひき肉と米をいれてトマトソースかヨーグルトソース味で煮る。野菜や豆、オリーブやレモンをつかった健康的な地中海料理だ。

週末の持ち帰りがなかったので、月曜からできたて料理。ムジャッダラはオレンジの豆を少量の米といっしょに煮込んだもので、冷蔵庫に材料も、頭に何のアイデイアもないときは、とりあえずこれ。素朴な豆の甘さに、シャキシャキの千切りのキャベツとトマトのサラダのレモン味、黒オリーブの塩気が、うまく口の中で混ざる。胃にもやさしい、おいしい粗食だ。

とはいえ、3日続けて同じものを食べたくない。何度も少量をつくるように頼んでも、ヴィッキーは毎度10人分を作る。ま、食べ盛りの愚息が2日で5人分は食べてくれることを期待しよう。デザートは300円で買ってきた冷凍イチゴと無脂肪牛乳でミルクシェイクで飾った。もう少し蜂蜜がおおくてもよかったかもしれない。広島の母の数少ない十八番メニューの踏襲だ。

 

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